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「夢をかなえるゾウ1」を読んでみた
みなさんは「夢をかなえるゾウ」シリーズ、読んだことありますか?
かなり有名な自己啓発本なので読んだことがある方も多いのではないかと思いますが、最近「第4弾」がでましたね。要約サービスでさわりだけ確認したのですが、非常に興味がそそられる内容でした。
ですがよくよく考えてみるとですね、私は第1弾すら読んでいないことに気づき。。。
AmazonKindleでは無料でダウンロードできるので、ダウンロードまではしていたのですがそのまま積読でした 汗
ということで、これをきっかけにまずは第1弾を読んでみました!
率直な感想は、いやーさすがですね。Amazonのレビュー評価が4.5点で、コメント数が1,700を超えるのも良く分かります。
とにかく、関西弁を喋るインド象の姿をした神様であるガネーシャ、いい味出し過ぎてます(笑)
そして私が個人的に気になったのは本筋とは全く違うところですが、ガネーシャが普通に操っている「自分」という言葉。
これ、関西弁では「You」の意味なんですけど、関西圏以外の人はこれをすんなり理解できたんだろうか?とちょっと気になりまして(笑)
関西圏以外の方、実際どうだったでしょうか?すんなり理解できました??
と余談はさておき、個人的にはなかなか身につまされるような内容が多い自己啓発書だったのですが、最後に「ガネーシャの名言集」というのがあってですね。
要は著者が伝えたい主たるメッセージということなんですけど、「これはライフシフトにも通じるなぁ」と思うものがいくつかありましたので、今日はガネーシャ名言集からライフシフト視点に立って印象に残ったものを3つ、ピックアップしてご紹介したいと思います。
ライフシフト視点でピックした名言集①
「自分の『これや!』て思える仕事見つけるまで、もう他のもんかなぐり捨ててでも探し続けなあかんねん。
収入が不安定とか、恋人や親が反対するとか、そんな悠長なこと言ってる場合ちゃうで。
仕事間違えたら、それこそ一生棒に振ることになるんやで。
これはライフシフトど真ん中のテーマ、「自分の人生を生きる」ですね。
「恋人や親が反対するとかそんな悠長なこと言ってる場合ちゃう」というのはほんとそのとおりだと思ってまして、その声だけに従って生きていくと、他人の人生を生き続け、自分の人生を生きることなく、人生を終えることになってしまいます。
ただ一方で、ぶっちゃけ現実問題としては「子供が自立するまでは経済的リスクを冒すわけにはいかない」という事情も大きいですよね。
なのでお子さんが自立する60歳くらいまでは、「収入が安定」を最優先にする生き方を選択することは妥当なことだと私は思っています。
ですが、幸か不幸か今は人生100年時代となり、80歳まで働くことが当たり前の時代になりました。ということは、子供が自立したあと60歳から80歳の20年間はその呪縛から解き放たれ、『これや!』て思える仕事に邁進することが可能な時代でもあります。
そして、そのためには40代からじわじわと準備していくことがとても大事になりますので、その準備をなかなか始めない人に対しては、私もガネーシャと同じく『悠長なこと言ってる場合じゃない』と言いたくなります^^;
ということで、このガネーシャの言葉が響いた人は、自分の人生を生きていく準備、今から始めていきましょう!
ライフシフト視点でピックした名言集②
みんな知ってんねん。
やりたいことやって後悔せんような人生送ったほうが幸せになれるてな。
でもやらへんねん。何でや?
それは今の自分(=You=主人公)と同じこと考えてるからや。
収入、世間体、不安。
同じやで。
人を縛っている鎖なんてみんな同じなんや。
これは先ほどの続きのような感じですけど、「自分の人生を生きた方がいいと、皆そう思っているんだけど、結局やらない問題」ですね。
なぜ分かっているのにやらないのか。
ここはちょっと分けて考えみたいと思いますが、まず収入に関してはマインドの問題ではなく、思考の問題ですね。ロジカルに見通しを立てていくことで解決する問題だと思っています。
このような何かしらのチャレンジをするとき、「退路を断って」ということが美徳とされるケースもありますが、ライフシフトについては私はそれは推奨しません。リスクを極力抑えて、副業でじわじわと進めていくのがベターだと思っています。そうすることで少なくとも最初の一歩を踏み出すことに関しては、不安は大幅に軽減されると思っています。
次に世間体や不安について。これは完全にマインドの問題ですね。
これまでの常識と異なることを始めると、世間から叩かれるとまでは言われなくとも、他人から「やめとけ」と言われることは往々にしてあります。
「ドリームキラー」というやつですね。
これはライフシフト塾の第2部のパートで扱うテーマですが、ドリームキラーには「善意」と「悪意」の2種類があって、それぞれ対処方法は異なります。
「悪意」で言って来る人はスルーすればOKですが、「善意」で言って来る人は自分にとって大切な人だったりするので、その場合は「心配してくれてありがとう。でも俺はこっちに行きたいんだ」と言って、前に進んでいくしかありません。
仮に善意のドリームキラーの言葉に従ってチャレンジを辞めたとしても、その「チャレンジを辞めたことに伴う結果」に対して責任を追うのは自分です。「やめとけ」と言った人は責任を取ってくれません。
そこで思い出したい言葉があの「嫌われる勇気」です。
たとえ「やめとけ」と言う人から嫌われたとしても、自分はこっちに進んでいくんだという勇気ですね。
そんな勇気が持ってもらえるように、私はライフシフトにチャレンジしていく人を全力応援していきます。
ライフシフト視点でピックした名言集③
人間ちゅうのは不思議な生き物でな。
自分にとってどうでもええ人には気い使いよるくせに、一番お世話になった人や一番自分を好きでいてくれる人、つまり、自分にとって一番大事な人を一番ぞんざいに扱うんや。
たとえば・・・・親や。
これはですね、ライフシフトに関わらず、いろいろ身につまされる話だなと感じました。
たとえば仕事の場面で、面倒なお客さん、理不尽な対応を迫ってくるお客さんには結果として凄くリソースを割り当てて対応する一方、いいお客様への対応時間が減ってしまったり。
本当ならその逆がいいですよね。
いいお客様にリソースを割いてもっともっと喜んでもらって、ロイヤルカスタマーになってもらったほうが。
なのに往々にしてその逆をやってしまう。。。ここは意識したいなぁと思いました。
そしてガネーシャの最後の言葉である「例えば・・・・親や。」
私自身の話をしますと、これまでいろんな経緯があって、ここ数年は親との時間を大切にするようになり、最近では定例でZoomミーティングまでするようになっていますが(やりすぎ? 笑)、それ以前はこのガネーシャの言葉を聞くと胸が痛むような状況でありました。
みなさんはこのガネーシャの言葉、どのように受け止められましたでしょうか?
ライフシフトでいうと「活力資産」に関係する話です。我々に活力を与えるのは、良質な人間関係。活力「資産」ですので、メンテナンスをしないとその資産は消耗していってしまいます。
自分にとって大切な活力資産を維持していくために、定期的にこのガネーシャの言葉を思い出し、丁寧にメンテナンスしていきたいですね。
ということで、今回は「夢をかなえるゾウ1」の中から、ライフシフト視点に立って印象に残ったものをご紹介させていただきました。
また面白い本を読んだらご紹介したいと思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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【ホームページ】
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「発酵野郎」のライフシフト
突然ですが、みなさんは「伊勢角屋麦酒」というクラフトビール会社をご存知でしょうか?
名前の通り、三重県伊勢市にあるクラフトビールの会社なんですけど、そこが経営しているお店が八重洲にありまして、ずっと行きたいと思いつつなかなか行くキッカケがなかったんですね。
それが先日友人が上京してくるということで、「だったらあそこに行ってみよう」とようやく行くことができました🍺
いろんな種類のビールを飲んで、どれも非常に味わい深くておいしかったのですが(ボキャ貧ですみません...)、印象に残っているのは、NEKO NIHIKI(猫二匹)。かわいい名前でありながらアルコール度数8%というなかなかの攻撃力のあるビールでございました(^^;
ところでなぜ「伊勢角屋麦酒」の話をしているかといいますと、まずここの創業者さんの話がいろいろと興味を惹かれるからなんです。
どんなところに興味を惹くかというと、まずは家業を継続させつつも全く異なる分野への転身も図るライフシフトを実現されていること、そしてその転身のストーリーがこのライフシフト塾の考え方のベースとなっている「才能心理学」のパターンにドハマりしていること。これらの話が非常に興味深く、ご紹介したいと思ったからです。
ということで、今回はこの伊勢角屋麦酒の創業者、鈴木宗成さんのライフシフトのお話をしたいと思います。
1. なぜ「ビール醸造」へとライフシフトしたのか
もともと私がこのクラフトビールを知ったきっかけは、鈴木宗成さんが書かれた「発酵野郎!」という本を読んだことでした。
この本では「伊勢角屋麦酒」の創業ストーリーが綴られているのですが、鈴木さんは440年続く伊勢のお店の跡取りさんなんですね。醤油・味噌、お餅を作って提供しているお店だったそうなんですけど、お店を継いだときはあまりやる気が起きない日々が続いていたそうです。
そこで何か新しい事業をやろうとして地ビール開発に至ったワケなんですが、なぜ地ビールをやろうと思ったのか。
それは鈴木さんがいわば「ミクロな命の鼓動が大好きだったから」なんですね。
鈴木さんは小さいころ微生物が好きすぎて、顕微鏡を買ってもらって微生物が動く様子を無我夢中で見ていたくらい、「ミクロな生命」に強い興味があったそうです。
そして鈴木さんがお店を継いだとき、既存事業では醤油の醸造をしていたので、身近な環境に「酵母菌」というミクロな命があったわけです。そんな「酵母菌」に強い関心を持ち、それを軸に事業化したのが地ビールだったということです。
つまり、「ミクロな生命の鼓動」という「自分軸=コア・コンセプト」を軸にライフシフトを実現された、と言えるのではないかと思います。
2. 自分軸としての「あふれる酵母愛」
本を読んで今でも覚えているのは、鈴木さんの異常なまでの「酵母愛」。樽に耳を近づけて酵母が発酵する音を聞いて興奮している様子が描かれていたように記憶しています(笑)
なので、地ビールを作っているというより、「酵母菌と戯れている」という表現の方があっているような気がします(笑)。
伊勢角屋さんのホームページをみると、「もともと味噌・醤油を醸造していて、その醸造技術から発展し、現代の伊勢角屋麦酒のクラフトビールが誕生しました」という感じで、いかにも「既存技術の転用による多角化で産まれました」という、「ありがちなビジネスストーリー」として書かれています。
ですが、本当は「異常なまでの酵母愛に基づく情熱が、多角化推進の強大なエネルギーとなった」というとても大事なストーリーがそこに隠されているんですね。
鈴木さんはそういう感じで「酵母愛」という情熱を元に突き進んでいきましたので、ビジネス的な勉強が後回しになって大失敗したり、いろんな挫折も経験されます。
でも、「酵母愛」の情熱が鈴木さんを突き動かし続け、そんな挫折を乗り越えながらもついにはビール界のオスカーといわれるInternational Brewing Awardにて、2年連続金賞を受賞するという快挙を成し遂げられました。
3. 才能開花のメカニズム
ここで「才能開花」という視点で話を整理してみますと、これまでもHPなどでお伝えしていますが、ライフシフト塾の土台の考え方である才能心理学では、才能を以下のように定義しています。
「心を突き動かす感情を 行動に映した結果 生み出された能力」
今回のケースをこの定義に当てはめますと、
「ミクロな命への異常なまでの情熱を元に 地ビール醸造に取り組んだ結果 ビール界のオスカーで金賞を受賞した」
となり、心を突き動かす感情(コア・コンセプト)を元にした才能開花の典型的なケースであるとも言えます。
4. 誰もが才能の源泉は持っている
ということで伊勢角屋麦酒創業者・鈴木宗成さんの才能開花の事例をご紹介させていただいたのですが、この話を聞いてみて、みなさんはどんな感想をお持ちでしょうか?
ひょっとしたら「これは特別な人のパターンで、サラリーマンの自分には参考にならないよ」と感じた人もいるかもしれません。
確かに、「微生物がすごく好き→ミクロな命の鼓動が好き→酵母菌が好き→地ビール作ろう!」という流れは、
さかなくんの「魚好き→さかなくんになろう」
イチローさんの「野球好き→プロ野球選手になろう」
みたいな感じで、非常に「いわゆる特別な人のわかりやすいケース」であるとも言えます。
でも、大丈夫です。
どんな人でも、人間である限り「感情」はあります。
そして感情があるのであれば、才能の源泉となるもの、つまり何かしらの「こころを突き動かす感情=コア・コンセプト」を必ず持っています。
それはさかなくんやイチローさん、発酵野郎の鈴木さんのような「明らかにわかりやすいもの」ではないかもしれませんが、どんな人でも「その人独自のコア・コンセプト」を確実に持っているというのが、これまで数多くの才能プロファイリングの事例を見てきた私の考えです。
ということで、今回は書籍「発酵野郎」の内容から、「自分軸=コア・コンセプト」に基づいたライフシフト、才能開花の事例をご紹介させていただきました。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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次回募集は2021年1or2月予定です
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幸福学×経営学④ ~ ホワイト企業への道 ~
「幸福学×経営学」シリーズ、ラストです。今回は第四章、元ソニー上席常務・ホワイト企業大賞企画委員長である天外伺朗さんの執筆パート、「ホワイト企業への道」について、自分の頭の整理がてら、まとめてみたいと思います。
ホワイト企業とは
まず「ホワイト企業という言葉をなぜ使っているのか」についてですが、この言葉の良いところは、よく知られている「社員に過酷なブラック企業」の反対なので、誰でも直観的に「社員を大切にしている」という印象が浮かぶという点です。少なくとも漠然としたイメージは共有できるということです。
そして天外さんはじめ、ホワイト企業大賞の企画に関わる人たちは、その漠然としたイメージだけを大切にして、「ホワイト企業とはこういう企業ですよ」という定義をしないことにしたそうです。
なぜなら、定義をしてしまうとそれが目標になってしまい、多様性が失われてしまうからですね。
目標が明確になると、それに向かって努力する企業は増えるというメリットもあるんですけど、目標以外の方向性が無視されてしまったり、「達成したか/しないか」という結果に囚われて、プロセスが疎かになり、達成したら終わりという刹那性をはらむ、という問題点が出てきます。
それよりも漠然とした方向性だけを示して「永遠に歩き続ける道」として「ホワイト企業」という表現を使っていこう、という趣旨だそうです。
そしてその方向性を示す言葉として、以下のような言葉でホワイト企業を表現しています。
ホワイト企業 = 社員の幸せ、働き甲斐、社会貢献を大切にしている企業
「ホワイト企業」という言葉に誰しも描く漠然としたイメージを具体化しただけの言葉とのことです。
あえて抽象度を高くしておいて、そこに向かう道はいろいろ選択肢を残しておこう、ということですね。
ホワイト企業大賞の審査基準について
とはいえ、ホワイト企業大賞は表彰制度なので、審査基準が必要になってきます。よくある表彰制度としては、かなり詳細な審査基準を設けるのが普通です。客観的な審査ができるようにして、公平性を期すためですね。
しかしそのような審査基準は、価値観を限定し、また達成すべき目標になります。審査基準が多様性を限定してしまうとともに、目標以上のレベルが想定されにくくなるので、経営の進化の壁になってしまうという傾向も生まれます。また、審査する側が応募企業を指導する、という上から目線がどうしても出てしまいます。
そこでホワイト企業大賞は審査基準も目標も示さず、先ほどの漠然とした方向性のみを示して、「永遠に歩き続ける道」ということを徹底することにしたそうです。
これは審査の公平性には欠けますが、代わりに多様なマネジメントに道を開き、新しい突飛な可能性を探求していこう、という方針です。
どんな企業でも叩けば埃がでるので、欠点の克服も大事だけれども、完璧な企業をめざしてもキリがない。むしろ、少々ブラックなところがあっても、新しい取り組みに果敢に挑戦する企業を発掘していきたい、という姿勢で取り組まれています。
そして具体的な審査の方法については、企業プロフィールの提出、企画委員による企業訪問のほかに、40項目の無記名アンケートを全社員に実施して「ホワイト企業指数」を算出します。このアンケートのオリジナルは、うつ病傾向の社員を調査するためのアンケートで、それを天外さんが天外塾で導入したり、企画委員がブラッシュアップしたりして長年かけて作り上げました。
そしてそのアンケートに基づく「ホワイト企業指数」が向上した支店は翌年の業績がよくなる、などの結果も出ており、有用性が実証されています。
日本型経営の再発見
四章の後半は、「日本独自の良い経営を探求していきませんか?」という話が書かれています。
天外さんは元ソニー社員でしたのでソニーでの経験をもとに書かれているのですが、元々ソニーは有名な設立趣意書である「自由闊達にして愉快な理想工場」の理念に基づいた、「社員の働き甲斐」「社員の幸せ」「社会貢献」を目指す「ホワイト企業」だったんですね。
そしてそれが1995年、天外さんは「当時のCEO」という表現を用いていますが、まあ出井さんですよね(笑)。出井さんがアメリカ流合理主義経営を急速に取り入れて、それ以降2003年のソニーショックが起こるまでズタボロになっていったと(汗)。そしてそれはソニーのみならず、多くの日本企業で起きた出来事だったと書かれています。
確かにバブル時の日本の経営はひどくて、バブル崩壊となって日本企業は相当なダメージを受けましたけど、ではそのあと多くの企業で導入された「アメリカンスタンダード」によって好転したかというとそうでもなく、前々回の「これまでの経営学の3つの病」でもみたとおり、むしろ企業不祥事は増えてきたり、負の側面も多かったわけで。
そういったことをふまえて、ここで天外さんが提唱されているのは、「日本の経営手法は時代遅れ」「外国の経営手法はイケてる」「だから外国の経営手法をマネしよう」という姿勢ではなく、「日本独自の良い経営を探求していきませんか?」ということですね。
もともとはジェームス・アベグレン氏が提唱したように日本の経営が世界から賞賛されていた時代もあったし、かつてのソニーの経営はチクセントミハイ氏に言わせると「フロー経営」だったりするので、日本人にも「良い経営」を生み出す力はあるんだと。
そして、そんな「これからの日本独自の良い経営」を探求していくためには、幸福学からの貢献も欠かせないと。ということでこの本が刊行されたということですね。
日本独自の「幸福学のエッセンスを取り入れたホワイト企業」という目指す姿。
このような企業が増えていけば自ずと日本も元気になると思いますし、私も非常に共感する「企業の在り方」ですので、どんな形になるかわかりませんが、何かしら自分も貢献していきたいと思いました。
おしまい。
幸福学×経営学③ ~ これからの経営学の「4つのヒント」 ~
今回も「幸福学×経営学」シリーズです。今回は第三章、経営コンサルタント・小森谷浩志さん執筆パートの「これまでの経営学・これからの経営学」の後半、「これからの経営学の4つのヒント」について、自分の頭の整理がてら、まとめてみたいと思います。
こからの経営学の4つのヒント
「これまでの経営学」では
「3つの病」によって現在いろいろ弊害が起きている
と小森谷さんは仰っていました。
そして「これからの経営学」では、「旭山動物園」「寺田本家」「べてるの家」の事例から、
「これまでの経営学の枠組みに収まらない経営」
を検討した結果として、4つのヒントが提唱されています。
① 自覚
1つ目のヒントは自覚です。
これまでの経営学は、次々と新しい手法が開発され、経営者もそれに飛びついてきた感が否めないけど、これからの経営では、
「われわれは、この社会でいかなる存在か」
の自覚がまずは大事だということですね。
ここからは私の誤読で進めますけど、これは
「ホンモノの経営理念や行動指針を定めよう」
と言い換えることができるのではないかと思います。単に額縁に飾ってあるのではない、「ホンモノ」を。
そしてそれを「企業」として自覚するためには、経営者自身が
「自分自身は一体どういうことをしたい人間なのか」
をまず振り返り、それが明確になったら
「だったら自分はどんなことで社会に貢献したいのか」
を問い直していくことが必要になります。
そして、その延長で経営理念を定めていくということですね。
この「自覚」の部分については企業経営の根本部分で、本当はもっと丁寧に語りたいところではありますが、今回はこの辺で終えておくことにします。
② 共鳴
2つ目のヒントは共鳴です。
これはこれまでの経営学の3つの病の1つ、「分離」に対する対立概念のようなものです。「管理する人」と「管理される人」、「動機付けする人」と「動機付けされる人」という分離。これまでの経営学はその分離を前提に、「どうしたら管理される人がより働くようになるか」をいろいろ試行錯誤してきたという一面もあります。
ですが、これからの経営学で提唱されているのは、これまで大事とされていた「動機付け」さえも必要とせず、ゆえに「動機付けする人」と「動機付けされる人」の分離もなく、
「自分自身の存在理由」と「仕事」の「共鳴」
であり、内から湧き上がってくる使命感が原動力になるということです。
ということは、さきほどの①の「自覚」というのは、経営者だけでなく、各従業員にも必要なことだということですね。各従業員が「自分はどんな存在なのか」を自覚し、それと共鳴する会社を選ぶということ。経営者の自覚と従業員の自覚の合わせ技によってはじめて成り立つ概念といえるかもしれません。
それはなかなか難しいことだと思いますけど、それができた瞬間に、組織にものすごいパワーと模倣困難性をもたらすような気がします。
③ 小欲
3番目のヒントは「小欲」です。
これの意図するところは、小森谷さんの文章をそのまま転記したいと思います。
これまでの経営学は功利主義的な経済合理性が強く、特に近年では欧米型のコーポレートガバナンスの影響を強く受け、株主価値向上に連動した「利潤の極大化」を目指すようになりました。
一方でこれからの経営学では、現在多くの起業が標榜している、「短期利潤の極大化を通じた株主利益の追究」には関心が薄く、欲は控えめであり、利益はあくまで結果としてとらえます。
「消費と成長こそ経済活動の唯一最大の目標」とする近代経済学に真っ向から逆行しているのです。
最近勃発している企業の不祥事は、売上や利益、生産性など数値化できる目標の達成が絶対命令となり、隠蔽やごまかしをしてまでも結果を出そうとする雰囲気が原因の根底にあります。
某社の「チャレンジ」のように、身の丈を大きく超えた、とにかく数字の極大化を無理に目指す経営ではなく、数値は適正レベルの「小欲」を目指すということですね。
伊那食品工業の「年輪経営」などはまさにそんなスタイルだといえます。この「小欲」についてはそんなに解説は不要だと思いますのでこれくらいにしておきます。
④ 畏敬
4番目のヒントは「畏敬」です。
これは少しスピリチュアル的な話でもありますので、この領域に到達するには一種の悟りのようなものが必要なのかもしれません。しかし、「これからの経営」を実践する方々の共通点として出てきたものですので、今は一旦受け入れられなくても、頭の片隅に置いておきたいと思います。
この「畏敬」については、小森谷さんの言葉を借りると、このような説明がされています。
合理的で綿密な計画というよりも、自己の限界を知り、自己を超えた大きな関係性の中で、自分と自分たちを捉えています。
謙虚さ、大いなる存在にゆだねている感覚が宿っています。
この「大いなる存在」という言葉をみて、私は即座に尊敬する田坂広志さんの「すべては導かれている」を想起しましたが、ページをめくるとまさに田坂さんの言葉が引用されていました。
我々の人生は、
有難い順境だけでなく
様々な逆境も含め、
すべては、大いなる何かに導かれている
「幸運に見える出来事」だけでなく、
「不運に見える出来事」も含め、
すべては、我々に良き人生を送らせるための
大いなる何かの導きである
小森谷さんが「これからの経営」を実践されている経営者やマネージャー、従業員の方々にヒアリングした際、
「運よくことが運んで・・・」
「ご縁があって・・・」
「たまたまこういうことがあって・・・」
という言葉が異口同音で出てきたそうです。
これはまさに田坂さんの「すべては導かれている」にも書かれていたことで、その続編である「運気を磨く」を含めた私の勝手な解釈で言いますと、「①自覚」「②共鳴」「③小欲」に基づいた経営というのは、自然の摂理に合わせた経営と言えると思うんですよね。
そしてそのような自然の摂理にあわせた経営を行っていると、働いている人たちの「心の濁り」がなくなっていくんだと思います。
そうして、心の濁りがなくなっていくと、大いなる何かから導かれるように叡智が与えられ、目の前の困難も乗り越えていく。そんな「働く姿」なんじゃないかと思います。
ちょっとスピリチュアルに寄った話ですが、あくまで私の感想ということで。
以上、小森谷さんが提唱するこれからの経営学の4つのヒント、「自覚」「共鳴」「小欲」「畏敬」に関するまとめでした。
そして次に私の頭に浮かんできた疑問は、この本のタイトルにある幸福学とのつながりです。
それら4つの視点と幸福の4つ因子である「やってみよう!」「ありのままに!」「ありがとう!」「なんとかなる!」がどう繋がるのか。
そこのパズルの組み合わせは、追々やってみようかなと思います。
おしまい
幸福学×経営学② ~ これまでの経営学の「3つの病」 ~
今回も続けて「幸福学×経営学」です。今回は第三章、経営コンサルタント・小森谷浩志さん執筆パートの「これまでの経営学・これからの経営学」について、書かれていることを自分の頭の整理がてらまとめてみたいと思います。
まず今回は「これまでの経営学」についてです。
これまでの経営学が生んだ3つの病
工場労働者の生産性をいかに高めるかというテーラーさんの科学的管理法に始まり、その後いろんな理論が提唱され、1980年代になってポジショニング理論のポーターさんが出てきて、それに対してミンツバーグさんが異を唱えて、という感じで発展してきたこれまでの経営学。
経営学はそもそも「良い経営を上手にするため」に生まれた学問で、これまでかなり上手く行っていた時代もあり世界経済も大発展を遂げましたが、最近は「なんかおかしい」「なんか違う」といったことが起きてきています。働いている人は幸せそうじゃなかったり、企業不祥事が頻発したり、環境破壊につながったり。
ということで、これまでの経営学が今上手くハマっていない要因を、小森谷さんは3つの病として提起されています。
① 手法病
小森谷さんが現在の経営学に対して大きく抱いている懸念は、より良い経営をする「在り方」ではなく、上手にするための「手法」に偏っているところ、とのことです。
これまでPDCA、PPM、シックスシグマ、ABC、BPR、BSC、コアコンピタンス、KPI、ベンチマークなど数多くの経営手法が生まれてきたけど、その手法をこなすことが目的となり、本来の目的から乖離してしまっているケースが多くなってきているということですね。手法には目標管理や役職定年などの制度も含まれます。
本題の目的は「より良い経営をする」ということだけど、手法の遂行にこだわるあまり、より良い経営から逸脱してしまっているケースが散見される、ということですね。
ざっくりいうと、そのようなことが小森谷さんが仰るところの手法病です。
② 計画病
2つ目の病が計画病です。計画病は、経営学が厳密な科学であろうとすればするほどつきまとう宿命。計画そのものが悪いということではなく、偏重すると弊害があらわになります。なぜなら経営や戦略は秩序正しい静的なものではなく、動的でダイナミック、特に今日では予測不能な混乱のただ中にあるプロセスだからですね。
そして計画では定量化できること、客観化できることが重視されます。
そのために、数値化が容易で、反対意見が出しづらい、売上や利益、生産性や市場シェアなどが旗印になります。その一方で数字では測れない、やる気やワクワク感、長期的なビジョンなどはないがしろにされがちになります。
さらに深刻なのは、人間すら計画遂行の手段となり、ものや機会と同様に扱われる危険性が出てくること。その行きすぎた例がブラック企業とか、パワハラ上司ですね。
あと別の視点で見逃せないことが、計画を練りに練ってしまう病。本書で紹介されていたとある部長さんの言葉を借りますと
会社の大方針に従って毎年部の年次計画を立てるが、これほど無駄な時間はない。
上から突っ込まれないための過剰防衛で固めた、計画のための計画になっている。
数字をこねくり回しても本質的には意味がないことは明らかですが、特に大きな企業ではあるあるな景色じゃないでしょうか。私も前職時代を思い出します 笑
さらには、計画が詳細であればあるほど計画に縛られることも起きてしまいます。そうなると、VUCAの時代において臨機応変に計画変更ができなくなって致命傷を負いかねないですし、計画どおりに実行することが目的化してその先の達成したいビジョンや使命を見えなくしてしまいます。
で、「この計画が詳細であればあるほど」の件は、私としても個人的に強く憂えた経験があります。いわゆる事業計画業務では、計画通りの数値におさめる「着地」という概念がありまして、計画を下回ってもいけないし、上回ってもいけないんですね。一定の限られた「幅」の範囲内で年度数値を着地させないといけない。
で、その着地の精度をあげることに、優秀な方々の頭脳を、鬼滅じゃないですけどそれこそ「全集中」させるわけです。まあそれは「事業計画の正確性(適当な計画値を掲げているわけではないことの証明)」のため、ひいては株主のためという大義名分なのですが、正直に言うとですね、
こんな付加価値を生まないことに、とても優秀な方々の頭脳をこれだけ投入するのって、壮大な資源の無駄遣いじゃないだろうか?
これらの頭脳を付加価値を生むことに投入できれば、もっと日本のGDPも上がるんじゃないだろうか?
なんてことを思ったものです。
ということで、個人的にもこの計画病の病理は深いなぁと感じています。
③ 分離病
そもそも経営学は、経営者が労働者を効率よく働かせるために生まれたものですので、働かせる人と働かされる人、考える人と行う人をはっきり分ける形で発展してきました。
要は「考える」と「行う」の役割分担なんですけど、それによって専門性が高まったり、業務に集中できて生産性があがったりというメリットがある反面、全体が見えなくなり、自部署の利益や自分の役割だけを追うようになるデメリットが出てきます。
本書で例として挙げられている金融機関では、営業や融資、コールセンター、サービス開発など部門を預かる各部長が「職務記述書」を精読することが通例になっているとのこと。それは何のためかというと、自部署がやるべきこと、やらないでいいことをクリアにするため。会議では、「これはうちの仕事ではない」という発言が頻繁にあるそうです。
と、この事例を聞いて、みなさんどう感じられました?
私は、「え?普通やん」と思ってしまいました(^^;)
私も20年大きな組織でサラリーマンをやっていましたが、この「防衛ラインを張る思考」はすごく染みついていましたね。変なボールが回ってこないようにするディフェンス力といいますか。なので、私の単なる予想ですけど、自分の組織がこのような思考になっている方、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。
しかし当然ながら、そんな姿勢では三遊間のゴロは誰も拾わなくなり、自部署と他部署を分け、自部署の利益を最優先するようになりかねません。そしてこれからのVUCAの時代においては、そのような組織体制はかなり危ないというのは言うまでもありません。
このあるあるな分離病もなかなか根深い問題ですね。
なぜ今現在もテーラーイズムの影響が大きいのか
そして3つの病の最後に書かれていたことが印象的だったのでご紹介したいと思います。
テーラーの科学的管理法は100年前に工場の生産現場で生まれたものであり、「与えられた単純作業をいかに効率的にやるか」を追求したものでした。
問題は、そんなテーラーの科学的管理法がなぜ現在でも影響が大きいのか、言い換えると、なぜ今なお支持している人が多いのか、ということですね。
この問題については、小森谷さんの本書の言葉をそのまま引用したいと思います。
事実多くの経営者やマネージャーは、具体的な目標、緻密な計画、進捗の報告、序列や役割分担など制度や構造を好みます。
少し想像するとわかるように、多様なメンバーによる即興的で自由な組織よりも、同質なメンバーだけで、計画に沿って限定範囲の中で活動する組織の方が、管理が楽です。
楽をしてマネジメントしたいという、誘惑に引き寄せられています。つまり3つの病の裏には、安易な効率主義が隠れていると言えます。自分の頭で考えることなく、苦労することもなく、できるだけ楽をして、手っ取り早く果実を得たいという強い欲求です。
成功の方程式やテクニックを欲しがる安易なメンタリティこそが、失敗への道であることにそろそろ深いレベルで気づく必要があるのではないでしょうか。
これさえしていれば上手く行くという、魔法の丸薬はありません。多忙を極めている中だからこそ、見通しが悪いからこそ、本質を深く考える、思慮深さが求められているのです。
要するに、手法、計画、分離という3つの病に侵されながらも、これまでの経営学に基づいて経営・マネジメントをしているその裏には、「楽をしたい」という安易な効率主義が隠れているんじゃないですか?という提言ですね。
「社員の幸福を目指す」と謳っている幸福経営、ホワイト企業経営のほうが、「経営はそんなに簡単じゃない」という文脈で、一見「楽してるんじゃないか」とみられがちですが、「実は逆なんじゃないか?」「これまでの普通の経営のほうが楽してるんじゃないか?」ということ。
そんな、なかなか厳しい言葉で「これまでの経営学」の章は終わっていますが、ではホワイト企業の経営から見られる「これからの経営学」とはどんなものか。
次回、見ていきたいと思います。
おしまい。
幸福学×経営学① ~ 経営者は何を契機に幸福経営に舵を切ったのか ~
2年前に買って読んだこちらの本ですが、久しぶりに再読しまして、ブログにまとめてなかったので今回書いてみようと思います。
で、何を書き留めておこうかなと思ったのですが、まず第1章の「幸福学の基礎」についてはこれまで何度も読んで理解できているところなので、割愛します。
そこで今回気になったところというのは、幸福経営を実践しているホワイト企業対象受賞企業のお話。なかでも、
社長さんたちが「どのような経緯で幸福経営へ舵を切り、ホワイト企業へと転換したのか」
という部分です。
というのは、従業員の幸福を第一に考える「幸福経営」というものは、実情を知らない「数値第一主義」の人たちからすると「ゆるい経営」と勘違いされがちなのですが、実際はすごく大変なんですよね。「従業員とその家族の幸せ」と「経営成績としての数値」を両立させる経営なわけですから。一朝一夕には実現できません。この本の第3章にも書いてありますが、従業員はないがしろにして「数値だけを追う」経営の方が、断然ラクなんです。
そんな大変な幸福経営にどのような流れで舵を切ったのか、頭の整理がてら、それぞれの経営者の事例をカンタンにまとめておきたいと思います。
1.西精工株式会社の西社長
西精工というのは、徳島県にあるネジ製造会社で、西さんが家業に呼び戻されたのは1998年、35歳のとき。そもそも父が創業者の三男ということもあり、会社を継ぐ予定はなかったのですが、後継予定の従兄の急逝により、急遽お鉢が回ってきたそうです。それまでは、東京の広告代理店でバリバリと活躍されていたとのこと。
そして東京から戻ってきた当初は、現在のホワイト企業とは程遠い状況。作業場は散らかってるし、商品のネジは床に転がってるし、、、といった感じで。全体として非常に暗い会社だったそうです。
そこから西さんは会社の雰囲気を変えようと挨拶活動なと徹底的に取り組むものの、変化はなく。。。いろいろやれども社内は冷ややかなな反応で、かなり精神的にも追い詰められたそうです。
そこで転機になったのが、2005年。参加したある経営塾で、「社員のことを謳っていない経営理念は理念ではない」という言葉を聞いて目が覚めたとのこと。それまでは、「会社のために社員はがんばるんだろう?」という姿勢で接していたとのこと。それで社員はついてくるわけがないということですね。
また、シレっと2005年と書いてますが、会社にジョインしてから実に7年。その間試行錯誤で苦しんでおられたということですね。
そして2006年に経営理念を策定し、そこからホワイト企業への道がスタートしたそうです。ただ、そこからもいろんな試行錯誤で、実際にいつごろからホワイト企業になったかは書かれていませんが、おそらくは数年間の地道な取り組みの結果だと思われます。
以上がカンタンですが西精工、西社長によるホワイト企業転換の事例です。
2. ぜんち共済株式会社の榎本社長
ぜんち共済は、知的・発達障がい、ダウン症、てんかんのある人を支えるための少額短期健康総合保険を扱う、日本で唯一の専門保険会社で、榎本社長が2006年に設立しました。障がい者とそのご家族の力になりたいという想いで作られたソーシャルベンチャー企業です。
創業から5年後にようやく黒字になったとのことですが、この5年間が本当に大変だったということで、榎本社長も線路に飛び込もうかと思ったほど追い詰められたそうです。そしてそんな状況では周囲との関係もよくなるはずもなく、創業メンバーとの関係も悪化。特に「本当は一緒に会社を創っていきたかった」という女性社員2名が辞めてしまったことについては、慚愧に堪えないと今でも悔やんでいるそうです。
このケースから言える1つ大事なことは、この事業に対する榎本社長の志はまっすぐなものであり、強かったんですよね。だけど、それだけではダメだったということ。社長個人に志が定まっているだけではダメなんですね。それをメンバーとこまめに共有することなく、「わかってくれている」と思い込み、コミュニケーションのズレが出て、メンバーとの飲み会では悪口大会になることも少なくなかったそうです。
そんな「自分が経営者として未熟だったために2人を傷つけてしまった」という後悔もあって、黒字化したあとは「どうすれば社員全員がイキイキと働けるのか」という問いの答えを探し求めていったそうです。
そして時系列情報が書かれていないのでどのような順番で行っていったのかわからないのですが、組織の縦割り体質を打ち破るしかけとして、いわゆる組織間横断チームの組成やスタッフへの定期的なヒアリングなど、組織の風通しをよくする取り組みを行ったということです。
そして榎本社長に大きな影響を与えたのが、書籍「人本経営」著者の小林秀司氏主宰の「人本経営実践講座」の1期生として参加したこと。そこで「企業経営で大切なのは、社員とその家族の幸せを一番に考えること」と教わったこと。それを聞いて、すとんと腹落ちしたそうです。
それ以降、講座での学びを次々に具体的な施策に落とし込み、実践され、これも年月は書かれていませんが、おそらく数年間かけて今のようなホワイト企業へと転換していったのだと思われます。
以上がカンタンですがぜんち共済、榎本社長によるホワイト企業転換の事例です。
3.有限会社アップライジングの斎藤社長
アップライジング社は宇都宮にある中古タイヤ・アルミホイールの格安販売を中心に事業展開を図るリサイクル業者。斎藤社長が2006年に創業されました。
斎藤社長はオリンピック代表候補に2度選ばれるほどの元ボクサーであり、以前は「強くなりたい」「有名になりたい」「大金を稼いで人々を見返したい」という一心で「他人の成長が嬉しい」と思えるような人間ではなかったとのこと。
そんな斎藤社長が、なぜ他人の幸福を追求するホワイト企業の社長へと変わっていったのか。
それは2011年の東日本大震災のボランティア経験がきっかけだそうです。創業から5年目のことですね。ボランティア先で、大きな声を出してラーメンを配っていたところ、あるおばあちゃんから
おいしいラーメンを食べられたことも嬉しいけど、あなたがわざわざ栃木からきて声をかけてくれる。その元気な声が嬉しいのよ。
と声をかけてもらって、その言葉に衝撃を受けました。
そして生まれて初めて、「他人が喜ぶ姿を見るのが嬉しい」と心から思ったそうです。
このときを境に、本当の意味で他人の喜びが自分の喜びとなり、以降ホワイト企業として表彰されるような取り組みが始まったようです。
そしてもう1つ、斎藤社長には大事なきっかけがあります。
斎藤社長が「これまでいろいろあった」親との関係で苦しんでいたとき、ある人は次のような言葉を送ってくれました。
斎藤君、他人を許すのだよ。他人を許すと、自分の心も緩むから。自分の心が緩むと、体中の筋肉が緩み、病気になりにくくなるから。また、自分の過去の行動、言動から後悔するのをやめて、自分を許すのだよ。自分を許すと、楽になるから。
これはあの斎藤ひとりさんの言葉とのこと。この言葉に出会って初めて、斎藤社長は自分自身を含むすべての人を許そうと思えるようになり、実際に許せるようになったそうです。それがアップライジング社が大切にする「許し、受け入れる文化」となり、今はホワイト企業経営の一翼を担っています。
朝礼をはじめとしたアップライジング社のホワイト企業経営を支える取り組みについては割愛させていただきますが、以上が斎藤社長によるホワイト企業への転換事例です。
4.ダイヤモンドメディアの武井社長
不動産流通業界向けにWEBソリューションを提供するテックカンパニーのダイヤモンドメディア社。ホラクラシー経営、ティール組織の実践企業として超有名な会社です。それをゼロから作り上げたのが武井社長です。
そんな武井社長は、どのようなステップでダイヤモンドメディア社を作り上げていったのでしょうか。
まず最初に武井社長は若くして別の会社を起業し、そして失敗します。22歳のときですね。起業からたった1年で会社を手放すことになったそうです。そして、それがホラクラシー経営のダイヤモンド社を作る契機になったそうです。その点についての武井社長の言葉を引用します。
その挫折が転機になったことは間違いありません。
何の社会経験もないまま、僕自身のエゴで友人たちを巻き込み、彼らにまで借金を負わせて作った会社を、やはり自分のエゴであっという間に潰してしまったのですから。
仲間の一人は通っていた大学を辞め、もう一人は超一流企業のキャリアを捨ててまで手伝ってくれたのに、そんな彼らの人生を僕がめちゃくちゃにしてしまった。
『会社とは何か、組織のあるべき姿とは何か』と、本気で深く考えるようになったのはそこからですね。
そこから武井社長は経営やビジネスに関するあらゆる書物を読み込み、とりわけ強い感銘を受けたのが以下の3冊だったそうです。
「未来の経営」(ゲイリー・ハメル)
「非常識経営の夜明け」(天外伺朗)
「奇跡の経営」(リカルド・セムラー)
この3冊を読んで共通項が浮かび上がり、会社のあるべき姿が見えたと、以下のように語られています。
結局は「メンバー・顧客を含め、関わる人全員が幸せである」ことに尽きる、と思い至ったわけです。
でも、武井社長のすごいところはここからで、それを仕組みとして機能させるために試行錯誤し、武井社長がいなくなってもホラクラシー経営(≒幸福経営)がまわる仕組みを作り上げたこと。その思いについて以下のように書かれています。
しかし、僕自身がどれだけ人間性を磨いたり、人徳を積んだりしても、そういう会社の在り方を、創業者一人のリーダーシップだけで追求していったら、僕がいなくなったときには、そういう会社でなくなってしまう可能性が高いでしょう。
だから、精神論に頼るのではなく、「みんなが幸せになれる会社」をシステム化して回していけないものかと。そう考えて、日々のオペレーションから組織設計、査定や採用などの制度設計まで具体的な経営システムを実際に構築してきました。
そして後日談ですが、武井社長は実際に2019年9月に社長を退任し新たな道に進まれました。
以上が、武井社長がホラクラシー経営を実践するに至ったカンタンな経緯です。
5. (まとめ)見えてくる共通点
以上、4名の社長の「幸福経営に舵を切った流れ」を見てきましたが、いくつか共通項が見えますので少し整理していみたいと思います。
苦しんだ末に幸福経営に舵を切っている
アップライジングの斎藤社長を除く3名は、はっきりと「苦境経験」をきっかけに幸福経営へと舵を切っています。
西社長は、家業に戻ってきたときは幸福経営とは程遠い暗い社内でした。そして何より、西社長が戻ってくる少し前に、18歳の従業員が仕事中の事故で亡くなるという悲しい事件がありました。
ぜんち共済の榎本社長は、創業期の苦しみの中での2名の女性社員を追い込み、傷つけてしまった出来事ですね。
そしてダイヤモンドメディアの武井社長は、ご自身の1度目の起業失敗経験ですね。大切な仲間の人生をめちゃくちゃにしてしまった。
また、アップライジングの斎藤社長も、そこまではっきりとした因果は書かれていませんでしたが、父との関係の苦しみも間接的に影響しているかもしれません。
このような辛い経験があり、それをきっかけに幸福経営への道をスタートされていることがわかります。
舵をきるきっかけとなった出会いがある
また、幸福経営を目指すきっかけとして、人や本などとの出会いがあった、というのも共通する部分かなと思います。
西精工の西社長は、参加したある経営塾で「社員のことを謳っていない経営理念は理念ではない」という言葉を聞いて目を覚まされました。
ぜんち共済の榎本社長は、書籍「人本経営」著者の小林秀司氏主宰の「人本経営実践講座」の1期生として参加し、「企業経営で大切なのは、社員とその家族の幸せを一番に考えること」と教わったことが大きな契機となりました。
アップライジング社の斎藤社長は、東日本大震災ボランティア活動でのおばあちゃんからの感謝の言葉、また「人を許す」という斎藤一人さんの言葉などがきっかけとなって、「他人の喜びは自分の喜び」へとマインドが変わっていきました。
そしてダイヤモンドメディア社の武井社長は、感銘を受けた3冊の本から、「メンバー・顧客を含め、関わる人全員が幸せである」ことに尽きるという考えにいたりました。
このように皆さん何かしらの出会いにより、幸福経営に邁進することになったのですが、逆の視点では、苦しみ、どうにかしようと模索していたからこそ、そのようなものに出会えたとも言えるのではないかと思います。
ぼーっと待ってるだけではそのようなものには出会えないですし、また出会えたとしても目の前を素通りしていたのではないかと私は思います。
今困っていることをどうにかしよう、という強い想いがそういう出会いを引き寄せたんじゃないか、というのが私の感想です。
自分なりの方法を追求している
この4社はホワイト企業大賞の何かしらの賞を受賞された企業ですが、その具体的な取り組みは多種多様です。
賞の区分けでいくと、ダイヤモンドメディアと西精工は「大賞」ですので、総合点が高いのかなと思いますが、アップライジングは「人間力経営賞」、ぜんち共済は「風通し経営賞」と、ぞれぞれの特徴があります。
「ホワイト企業大賞」という制度は、「評価項目達成の自己目的化」を防ぐために、あえてアセスメント項目がガチガチに定めることはせず、
「社員の幸せ、働きがい、社会貢献を大切にしている企業」
という「抽象度の高い目指す姿」だけを設定しています。言い換えると、「この項目を満たせば受賞できる」といった体にはなっていません。
ということは、どうすれば「社員の幸せ、働き甲斐、社会貢献を大切にする経営」ができるかは、各社でも自分なりのやり方を模索するしかありません。
そう考えたとき、ホワイト企業大賞を受賞するには、自分は「社員の幸せ、働き甲斐、社会貢献を大切にする経営をしたい」という、内側から沸き起こるパッションが経営者になければ、そのスタートラインにすら立てないことがわかります。
そういうパッションを持って、「自分たちの環境であればどのようなやり方が適しているのだろうか」と模索していく。そのような経営者の姿勢が、幸福経営を実現する大切な前提条件であると感じました。
おまけ:寺田本家の幸福経営転換のきっかけ
第3章で、 300年続く造り酒屋の寺田本家の事例も出てくるのですが、寺田本家も以前は幸福経営とは真逆の経営を行っていました。
そんな寺田本家が幸福経営に転換したのは先代社長時代だったのですが、そのきっかけの1つは先代社長が大病を患ったこと。そしてもう一つがなんと超常現象との出会い。UFOをみたことがきっかけだったそうです^^;
UFOと出会ったことのない私は、まだまだ修行が足りないようです・・・。