「ビジネスの限界はアートで超えろ!(増村岳史)」に見る、文化が輸入されるタイミングってすげぇ大事だな、というお話
今、荒木マスターのVoicyがこの本の著者、増村さんとの対談シリーズなので、ちょっと手に取ってみました。
まだ本筋のところは読んでおらず、極めて個人的な視点で気になった章だけしか読んでいないのですが、結構印象に残ったところがあってですね。
読んだのは第四章の「アートのベースにはロジックがある」。
この中の
「日本のエリートに多い『美術以外はオール5』」
「海外の美術教育は、こんなにもロジカル」
という部分を読んで、「そーゆーことか!」と思ったんですね。
僕は別に「美術以外オール5」だったわけではないですが(笑)、小学校の頃から美術は超苦手だったんですね。美術(図工?)の時間に「自由に絵を描け」と言われて途方にくれた記憶があります(笑)
で、この本を読むと、デザイン国家が集まる北欧や、ドイツ、イギリス、アメリカの幼少期の美術教育の内容が書かれていて、やり方はいろいろ違えど、下地というか基礎部分としての「ロジックの教育」がちゃんとなされているんだそうです。
でもって、日本はその「ロジックの教育」がスコーンと抜けちゃっていて、「感性のみの教育」がなされているんだそうです。その結果、僕みたいな「呆然とする生徒」を生み出しているんですね( ̄▽ ̄;)
では、なぜ日本の美術教育から、「ロジック部分」が抜け落ちてしまったのか。
その原因については、本文をそのまま引用したいと思います。
なぜ、日本の美術教育はここまでエモーショナルなのでしょうか?そこには根深い歴史的な要因があります。
明治維新から28年後の1896年に、東京美術学校(現在の東京藝大美術学部)に西洋画科(現在の油絵科)が新設され、西洋画が隆盛します。教官は、後期印象派の影響を大きく受けたヨーロッパ帰りの画家たちが務めました。
当時の最先端の表現をする集団である後期印象派の影響を受けたヨーロッパ帰りの教官たちは、自分たちが感じたままに自由に描くという印象派の影響を強く受けた絵画教育を行いました。この、印象派に強く影響を受けた思考が、120年以上経った今でもアップデートされずに残ってしまっているのです。
この話を聞いてですね、あーーーー、スポーツも全く一緒だなと思いまして。
スポーツが日本に輸入されたのも美術同様に明治維新後ですが、そのとき、日本には「スポーツ」という概念がなかったんですね。スポーツとは何か?という定義に関してはこの本に詳しく書かれていますが、スポーツは元来「ゲーム」+「運動」なんですね。で、「ゲーム」って強制してやらされるものではなく、自主的にやる「遊び」なんですよね。
だけど、当時日本にはそんな文化はなく、既存の何かに嵌め込まざるを得なかったんですが、それが「体育」だったんですね。自主的にやる「遊び」ではなく、強制的にやらされる「教育」です。なので、日本でのスポーツはずーーーっと「教育」の文脈で扱われてきました。で、それをどんどん悪い方向にこじらせていったのが「高校野球連盟」という組織だったりするわけなのですが、平成も終わろうしている最近でさえ、高野連のジイさんたちの旧石器時代のような意味不明な思考がちょっとした話題になり、それに対して川淵氏が吠えるといった光景も見受けられるわけであります。
でもちょっと確認したところ、「体育の日」が2020年から「スポーツの日」になるらしいじゃないっすか。体育の日はご存知、1964年の東京オリンピックの開会式を記念して作られた祝日ですね。なので、当時はオリンピック=体育と認識していたということでしょうね。それがようやく「体育」ではなく、「スポーツ」と認識され、文科省配下とはいえ「スポーツ庁」もできましたし、徐々に変わりつつあるのかもしれません。
と、話がスポーツに脱線しましたが、美術教育とスポーツの扱われ方の共通項として私が思ったのは、
輸入される時代背景によって、その「本来的なもの」が著しく歪められて受け入れられてしまい、その影響は100年以上にも及ぶことがある
ということです。
いやー、ほんと、輸入されるタイミングって超大事だなと。
もし、日本の美術教育がですよ、欧米のように「ロジック」を伴った教育だったとしたら、僕の小学校時代、ひいてはそれ以降の今までの人生において、「アート」への向き合い方が全く違ったものになったのではないか?と妄想したりするわけであります。でもって、ちょっとアートをロジックから勉強してみたくなりました。
と、この本の本筋ではないところの感想を書いてみましたが、時間を作って本筋のところも読んでみたいと思います。
ということで、今日はこのへんで(・∀・)ノ