気ままに誤読録

著者の意図とは違うかもしれないけど、自分なりの気づきを「誤読」として紹介していく、そんな読書ブログです。

父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話(ヤニス・バルファキス)を読んで、個人的流行語大賞に”余剰”がノミネートされた話

前回のレイヤー化する社会や、ブログには書きませんでしたがFacebookに書いた池上彰シリーズのように、「世界の歴史的な流れを大局的にとらえた教養」を強化したい熱が少々盛り上がってまして、この本もその一環でございます。

 

結構有名なこの”タイトルがえらく長い本”も、自分の教養を深めてくれるありがたい一冊でした。

 

荒木マスターのブログでは

イメージとしては、『銃・病原菌・鉄』+『サピエンス全史』+『ホモ・デウス』を足して10くらいで割った感じでしょうか。

と書かれていますが、ほんとそんな感じですね。

と、知ったかぶりしてますが、『銃・病原菌・鉄』も『サピエンス全史』も、実は荒木マスターのビジネス書図鑑の情報しか読んでないんですが^^;

 

ということで壮大なボリュームのこの本、どうアウトプットしようかなと思ったのですが、ひとまず一番のキーワード、”余剰”について書いてみようかと思います。

f:id:masaki53so6:20190825114559j:plain

 

”余剰”の爆誕

 

全ての経済の仕組みは”余剰”から始まった、というのがこの本の1つ大きなメッセージなのですが、この余剰の始まりは”農作物”の余剰ですね。

 

サピエンス全史では「農業革命」という言葉がありました。

農業の発明がいろんなものを作り出し、なかでも「人々の集団社会を作って、結果としてヒエラルキー構造もつくった」ということで、「幸せな側面ばかりもたらしたわけじゃなかった」という話でしたけど、今回の”余剰”から始まる話は、そのストーリーの解像度をさらに高めてくれたなぁ、という印象です。

 

そもそもこの話は、

なぜイギリス人がオーストラリアのアボリジニーを侵略したんだけど、その逆にはならなかったんだろう?

という問いがスタートでした。

 

で、イギリスの話にフォーカスして進んでいくのですが、前回の「レイヤー化する世界」にもあったとおり、ヨーロッパは中世までは辺境地帯であり、土地はやせ細っている貧しいエリアでした。だから、ちょっと歴史は遡りますが、土地がやせているエリアの人々は、食べていくためにはがんばって農業技術を発展させるしかなかったんですね。

 

その結果、農業技術が発展し、人々の生活の安定につながっていきました。それはサピエンス全史の「農業革命」と同じ文脈かと思います。

 

で、ここでもう1つ出てきた重要な事象が、「余剰となる農作物」の登場です。

 

作った農作物から、自分たちの生活に必要な分と、翌期以降の種となる分を差し引いたものですね。

そして余剰は将来への備えになるものなので、昔の人は余剰を増やしていきました。現代に例えると、貯金を殖やしていく感覚に近いですかね?

 

ここで1つ注意しておくべきことは、狩りや漁、自然の木の実や野菜の収穫は余剰を生み出さないということですね。すぐに腐ってダメになってしまいますので。トウモロコシや、コメ、麦のような保存できる穀物を生産できるようになったことが、余剰を生み出しました。

 

そしてこの「余剰」の登場を契機に、いろんなことが生まれていきます。

 

余剰が生まれたことで

文字が生まれた

世界最古の文字はメソポタミアで誕生したらしいのですが、文字を使って何を記録したかというと、農民が共有倉庫に預けた「余剰の穀物」の量でした。「誰がいくら分の穀物を預けました」といった「預かり証」のようなものを記録したんですね。

一方で、農耕が発達しなかった社会では文字は生まれませんでした。木の実も果物も肉も魚も十分にあったオーストラリアのアボリジニや、南アフリカの先住民の社会で、音楽や絵画は発達したけれど文字が生まれなかったのはそのせいだそうです。

 

債務と通貨が生まれた

「誰がどれだけ小麦を預けたか」を記録するために文字が生まれましたが、その文字は貝殻などに刻まれました。「これだけの小麦を預けた」を記録した貝殻は借用証書ともいえるので、債務が生まれたことになります。そして、その貝殻は他の人が作った作物と交換もできたので、それは価値の交換の道具である通貨が生まれた、ということでもありました。

 

国家・官僚・軍隊が生まれた

通貨である貝殻を信用して、貝殻に価値があると認めるようになるには、とても力のある誰かや何かが支払いを保証してくれることを、全員が認識していなければなりません。たとえば昔なら神託を受けた支配者や、高貴な血筋の王様や、そのあとになると国家や政府が保証してくれることが必要でした。

そして国家には、国の運営を支える官僚や、支配者と所有権を守ってくれる警官が必要になり、支配者の権力を守るため、外敵から余剰生産物を奪われないようにするための軍隊が必要になりました。

 

聖職者が生まれた

農耕社会が土台になった国家ではいずれも、余剰の配分がとんでもなく偏っていたそうです。しかし支配者にいくら力があっても、ものすごい数の貧しい農民が反乱を起こしたら、すぐに転覆するのは目に見えています。

そこで支配者たちは考えました。

どうすれば自分たちのいいように余剰を手にいれながら、庶民に反乱を起こさせずに統治できるだろうか

そこで出た結論が、「支配者だけが国を支配する権利を持っている」と、庶民に固く信じ込ませること。もうそのように運命によって決まっているのだと信じ込ませることでした。

そのために、「支配者には支配する権利がある」という正当性を証明する必要がありました。そのためには、国家権力を支える何らかの制度化された思想が必要でした。そして、その思想を制度化するような儀式を執り行うために生まれたのが、聖職者でした。

そしてそして、この庶民に信じ込ませたもの、これはサピエンス全史のキーワードの1つ、虚構ですよね。

こうしていろんな学びが繋がってくると面白い!

 

余剰がなければ国家は存在しなかった

以上、余剰の爆誕から国家の誕生までの流れを追ってみていきましたが、ほんと面白いですね。

 

そして最初の問いである

なぜイギリス人がオーストラリアのアボリジニーを侵略したんだけど、その逆にはならなかったんだろう?

に戻ると、

 

イギリス(ヨーロッパ・ユーラシアの国)には、余剰から生まれた国家があり、国家を守るための軍隊があったので、それがなかったオーストラリア大陸アボリジニは太刀打ちできなかった

 

という話になります。

 

この他にも「市場の誕生」など、いろいろ示唆に富む話が書かれていますが、個人的には「余剰の話」が最も印象的だったのでご紹介しました。

 

興味をそそられた方はぜひ読んでいただければと思います。

 

ということで今回はこのへんで。