地元の洋菓子屋さん:フロインドリーブを調べたらいろいろ面白かった話
先週から父の手術入院サポートのため帰省していまして、父は無事退院してこの連休は両親との時間を過ごしているのですが、今日は出かけたついでに地元神戸の洋菓子屋さん、フロインドリーブのカフェに遅めの昼食を食べに行ってきました。
場所は北野から少し外れたところにあるのですが、建物は教会を改築したもので荘厳!そんな場所で、とても優雅な雰囲気の中で食事をしてきたのですが、ここの創始者は昔NHKの連続ドラマのモデルにもなったという話を両親から聞き、ググってみるといろんな歴史がわかったのでちょっとまとめてみたくなってご紹介です。
1.もともとはパン屋さん
フロインドリーブは両親からよくクッキーを送ってもらっていたので、お菓子屋さんのイメージだったのですが、実はパン屋さんでもあります。
で、その歴史はというと第一次大戦までさかのぼります。
ドイツ人創業者のハインリッヒ・フロインドリーブさんは14歳からパン職人の修行を始め、18歳からドイツ海軍にベーカリーとして従事。その後30歳を過ぎたころに第一次大戦で徴兵され、終戦時になんと日本軍の捕虜として日本にやってきます。
そして、日本に来た翌年、なんと敷島製パンの創業に関わります。敷島製パンの初代社長となる盛田善平が彼を初代技師長として招いて、敷島製パンを創業します。敷島製パンでは、本社工場の設計を始め、技術面のすべての指揮を任されたそうです。
2.NHK連続ドラマのモデルに
その後の1924年、40歳のときに日本人の奥さんと2人で、神戸の北野にパン屋さんとしての「フロインドリーブ」を開店。
本格的なドイツパンを日本に広めたということで、後のNHKの連続ドラマ「風見鶏」のモデルになりました。ちなみにこの「風見鶏」が放送されたのは1977年だそうで、私は当時2歳なので当然今日まで知りませんでした(^^;)
ちなみに、神戸の異人館ブーム(というものがあったことも知りませんでしたがw)は、このNHK連続ドラマがきっかけだったそうです。
3.息子さんがお菓子を持ち込む
1951年に創業者の息子さんであるハインリッヒ2世がお店を継ぎます。
で、その息子さんというのは、ドイツで製菓を学び、マイスターを取得していた人。ということで、父親が築いたパン作りも受け継ぎつつ、パイやクッキーなどの製菓にも注力し、今の「パン屋さん×洋菓子屋さん」のスタイルを築いたそうです。
4.阪神大震災をきっかけに本店を現在の場所に移転
時代は飛んで1995年、このときには現在の3代目:ヘラ社長の時代になっていましたが、阪神大震災で「全壊指定」を受けるほど、お店がやられてしまいます。
そんな中、お客様からの励ましにより全壊指定を受けた店舗で営業を再開し、しばらくがんばられていたようですが、さすがに厳しい状況が続いていたそうです。
そんな状況で悩んでいたときに、ご縁から現在の店舗である旧神戸・ユニオン教会を買い取り、移転して今に至っているそうです。
そして、震災で全壊指定を受けた北野の旧店は、神戸市に寄付され、その後神戸市が改修して北野物語館として市の資料館になっていましたが、2009年から
となって今に至っているそうです。
昔はあそこにあったのね!!!
今年北野を散歩したときに見かけましたが、とても印象的なスタバでした↓
ということで、今日は連休最終日ということもあり、久しぶりに「お菓子な話」トピックでございました。
神戸に来られた際は、ぜひ立ち寄ってみてください。
カフェのサンドイッチ、むっちゃボリュームありますよ 笑