気ままに誤読録

著者の意図とは違うかもしれないけど、自分なりの気づきを「誤読」として紹介していく、そんな読書ブログです。

荒木マスター・トークライブ「倒産は知恵と教訓の宝庫だ」からの誤読① 「ポラロイドの事例から人生100年のキャリアを考える」

 荒木マスター・トークライブ「倒産は知恵と教訓の宝庫だ」の感想① 「ポラロイドの事例から人生100年のキャリアを考える」

先週金曜日に行われた荒木マスターの「世界『倒産』図鑑」トークライブに行ってきました(・∀・)

 

 

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約1年ちょい前ですかね、「ビジネス書図鑑」のトークイベントにも参加しましたが、そのときの代官山蔦屋とは違って今回は老舗間たっぷりな雰囲気の八重洲ブックセンターエスカレーターで8階まで行こうとしたら4階までしかなくて、そこで焦っているとその先に4階⇔8階専用のエレベーターがあるという。この昭和感のある建物、結構好きです 笑

 

 

さて、中身のほうですが、マスターからのプレゼンは1時間ほどで、本で取り上げられている25社の倒産事例のうち、4社の事例をピックアップして語られていました。その中から、抽象的な学びの概念を自分に当てはめてみたときに印象に残ったものについてちょっと書いてみたいと思います。今回とりあげる事例は、「ポラロイド社の倒産」です。本を読まれてない方のために、まずはカンタンに説明します。

 

 

ポラロイド社の倒産は本書の分類では「過去の亡霊型」、つまり過去の成功体験を捨てきれずに、環境変化に対応できず倒産、というパターンなんですが、、、このポラロイド社、決して「頭が固い連中が自らの保身で」とかそんな話ではなく、「そこまでやってたのにダメでしたか・・・」というなんとも惜しい感じなんですよね。

 

 

ポラロイドの事業内容についてはみなさんご存知だと思いますので割愛しますが、倒産の要因は平たくいうと「デジタルにシフトできなかった」ということです。ですが、決してデジタル化の波に目を背けていたのではなく、フィリップスとJVを組んでデジカメ技術の開発にも取り組んでいたんですね。これ、1980年代半ばの話です。1980年代半ばってロス五輪とかあったときですよ。一般消費者としてはデジカメのデの時も知らなかったような時代ですよね。そんな時代から準備はしていたんです。

 

 

ですが、デジタル化の企画は社内でことごとく否決され、既存アナログカメラのブラッシュアップに走り、1986年に発売されたアナログ新製品のスペクトラが大ヒットしてしまったことから、アナログ技術の方に走ってしまい、、、という形で十数年後にデジタル化の勝負で負けてしまったわけです。

 

 

本書ではこの倒産事例からの学びとして、「『分析体質』が行き過ぎて倒産」というキーワードがセットされています。これはどういうことかというと、1980年代半ばの経営判断の背景ですね。既存技術のブラッシュアップに注力するのか、それともデジタル化に注力するのか。そういった判断がなされる場合、経営陣は何を元に判断するかというと、一番引力が強いのは「数字」です。市場規模が大体これくらいで、競合はこんな感じで、だからこれくらいのシェアを取れたら今後〇年間でこれくらいの売上と利益が立ちます、といった説明です。この説明はすごくわかりやすいんですよね。

 

 

一方で、1980年代半ばのデジタルカメラ市場はどんな説明になるかというと、数字では語れないわけです。デジタル技術もまだまだ粗いものですし、市場としても完全に未知の世界。「これ、3年後にどれくらいの売上が立つの?」と言われても数値の根拠は出しようがありません。ただ、数字では語れないけれども、長いスパンで考えたらこれは投資し続けないといけない気がする・・・、それくらいしか言えない状況です。

 

 

そんな状況でポラロイド社は数値で表せる「分析」に拘り過ぎてしまったということです。

 

そういう光景、みなさんの会社にもありませんか? 新規事業×既存事業の構図。どうしても最後は「数字」の説得力が勝ってしまうというのは、あるあるな光景ではないかと思います。

 

 

ではそうならないようにするためにどうすべきかというと、本書では「分析」だけではなく、失敗を前提とした「学習」に意識を向けるべきだったと書かれています。「学習」というのは、新たな技術を一旦世に出したうえで、市場の可能性を学習していくという姿勢です。私は読んでないですけど、「両利きの経営」でいう「探索」と「深化」も同じような文脈じゃないかと思いました。(知らんけど)

 

 

そしてここからが自分事としての学びですが、私は個人の生き方・キャリアが専門なのでそちらの視点で考えてみるとですね、人生100年時代のキャリアの考え方にも応用できそうな部分があるなと思いまして。

 

 

100歳という寿命と人口動態と社会保障の状況を踏まえると、リンダ・グラットンさんが仰るようにまあ我々は80歳くらいまでは働かないといけない時代に突入するわけですけれども、例えば40代の人であれば、あと30~40年間のキャリアを見据える「学習」も必要になってくるわけですね。

 

 

そういう時代において、現代の労働市場に目を向けて「この業界のこの職種だと年収〇百万円だからそこを目指そう」という姿勢は数字で語れる「分析」に該当するのかなと。一方で、この先10年、20年の「現時点では数字では表しようのない世界」を見据えて準備していく姿勢は「学習」に該当するのではないかと。その両方に意識を向けていくことが必要とされる時代に突入したのではないかと思っています。

 

 

ちなみに私個人としては、いざとなったら「分析」の世界に戻るというバックアッププランを持ちつつ、今は完全に「学習のみ」に振り切った時期を過ごしているんだなと。

 

 

そう考えるとなるほど、だからですね! 

いろんな人から「何やってるんですか?」「何をしようとしてるんですか?」と聞かれたときに説明が難しいのは 笑

 

聞いてこられる方々は「分析モード」の視点で聞いてこられるんですけど、今の私は「学習モード」で生きているので、1985年のポラロイド社のデジカメ部門のごとく、「こんな感じでやろうと思ってんすよねー」くらいにしか答えられないんです。。。

 

 

そしてそして、自分がこれからやろうとしていることは、「分析」に偏りがちなビジネス・パーソンの「学習」を手助けしていくものですので、これからはガシガシお役に立てればと!(もうすぐHP完成!?)

 

 

ということで、ポラロイド社の事例から自分なりに気づいたことをつらつらと書いてみました。あともう1ネタ、我らが鈴木商店についても書こうかなと思いますが、それはまた次回ということで。

 

世界「倒産」図鑑、まだ買ってない人は買おうね!

 

 

おしまい。

 

 



 

 

 

おしまい。