続 ダメなあいつを、なんとかしたい!(心屋仁之助)
さてさて、心屋仁之助さんの「ダメなあいつを、なんとかしたい!」、後半戦でございます。
前回をおさらいしますと
主人公の30代女性が、困っている人をみるとなんでもかんでも助けに走ってしまうのは、
「人の役に立たなければ、自分は価値がなくなってしまう」と信じ込んでいるから。
つまり、他人への愛情ではなく、自らの怖れを起因として行動してしまっているということ。
では、なぜ彼女は
「人の役に立たなければ、自分は価値がなくなってしまう」と信じ込むようになってしまったのか
この本のストーリーでは、それは子供の頃から、
「かわいそうなお母さんを助けなきゃ」
とずっと思って生きてきたから。
子供の頃から、お母さんはことあるごとにお父さんへの愚痴や文句を言っては「大変だ、大変だ」と言って生きてきたそうで、この女性はそんなお母さんをみて、「私がお母さんを助けなきゃ」と思い、お母さんからの頼み事は率先して引き受け、お母さんから感謝されると本当にうれしかったとのことでした。
そして彼女にとってもう1つのしんどかった過去は、育った環境がいわゆる古い価値観が蔓延るところで、男の子を産まなかったというだけで母が親戚から陰口を叩かれたり。そのような状況がさらに輪をかけて「お母さんはかわいそう」と強く思うようになりました。
そして
「お母さんを助けなきゃ、私はお母さんから愛されない」
という信念を強化してしまいました。
そしてこの「誰かの役に立たなければ自分には愛されない」という思い込みから、大人になってからも、対象を彼氏や職場の人々に置き換えて、同じことを繰り返し てきたわけですね。
と、ここまで書いてみて、この逆パターンとして思い出すのが、ビリギャルの小林さやかさんですね。
映画を見る限りだと、お母さんは辛そうだったけど、お母さんはさやかさんに対し「何もしなくてOK。存在しているだけでOK。」というメッセージを送り続けます。日々そういうメッセージを受け取っていたさやかさんは「私は愛されている」と信じることができ、その自己肯定感の高さが慶応合格の大きな一要素となりました。
話を戻すと、「お母さんを助けなきゃ、私は愛されない」という呪縛に縛られていることがわかったとして、その呪縛をどのように解けばいいのか。
この本では、「実はああみえて、おかあさんはかわいそうじゃなかった」というストーリーでした(^^;)
ある日、主人公の女性がお母さんに「お母さんはお父さんと結婚して幸せだった?」と勇気を振り絞って聞いたところ、「幸せに決まってるでしょ。何言ってんのあなた?」というまさかの返答が返ってきて、「今までの自分は何だったんだ」とこの女性は脱力してしまいます(笑)
たまにこういう人いません?
毎日「大変だ~、大変だ~」といいながら、「実はそうやって”大変だ~”と言いながら生きるのが好きなんじゃないの?」と思える人。
この主人公のお母さんは、実はそういう人だったんですね。
なので、彼女が思っていた「お母さんはかわいそう」は、彼女の脳内だけで育っていた妖怪だったんですね。これが心屋さんの言う「妖怪かわいそう」です。「お母さんはかわいそう」と事あるごとに思い続けることで、その妖怪を巨大化させていたんですね。
そして後日、お母さんと再び話をして、「お母さんを助ける、助けないにかかわらず、自分がお母さんからいかに愛されていたか」という話も聞き、「実はお母さんを助けなくても、愛されていた」という現実を知ります。
とちょっと長くなりましたが、つまるところ
「本当は普段からお母さんから愛されていたのに、愛されていないと思っていた」
「本当はお母さんはかわいそうじゃなかったのに、かわいそうだと思っていた」
という勘違いから
「愛されるために、人の役に立たなければ!」
とずっと思い込んで生きてきて、苦しくなっていたということですね。
なので、本書のストーリーに沿うならば、もし同じような悩みを抱えている人がいれば、ちょっとハードルが高いですけど、主人公の女性のように「お母さんに確認してみる」というのが対処法になりますね。
で、それはちょっと難しいというのであれば、
「実はお母さんは、幸せだった」
と独り言を何度も行ってみる、という方法もあるそうです。
この辺は、私も詳しくない世界なので、もっと詳しく知りたい方は、心屋さんの他の本も読んだりしてみてください(笑)
で、「妖怪”自分が”かわいそう」の話も個人的には思うところがいろいろあったのですが、もう長くなったので割愛!(笑)
興味のある方はどっかでお会いしたときにでも話しましょう。
それでは今日はこのへんで。
【追記】
この本のケースは、「お母さんに愛されてないと思ったけど、実は愛されてたことがわかったので、その呪縛を解くことができた」というお話でしたが、
「実際に、お母さんからも、お父さんからも愛されなかった」がゆえに、
言い換えると
「存在しているだけでOK」と認めてもらえなかったがゆえに、
「自分には価値はない=自分は人の役に立って初めて価値がある」
という思い込みを形成するパターンもあると思います。
その場合、その呪縛を解くためには、
「役に立たなくても愛してくれる人に出会う」か
もしくは、心屋さんの表現でいうと
「どうせ自分は愛されてるし、と言ってみる」を何度も繰り返す
という方法になるようです。
後者のほうは、「自分には価値がない」と自分に言い聞かせてきたのと同じくらいの回数で打ち消すつもりでやらなければその呪縛は消えない、とのことなので、これはほんとお稽古ですね。それくらい幼少期からの思い込みによる呪縛は手ごわいということでしょうか。
ということで追記でした。