【世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?】(山口 周)を読んで、美意識以前に論理のほうが大事なのではと思った話
遅ればせながら読みました。最近はオッサン社会の本が注目を浴びてる山口周さんの本でございます。
現在の企業のおける経営判断は論理や理性に寄り過ぎていて、いろいろな問題が起きていると。
1つのパターンとしては、そもそもVUCAの時代に論理や理性だけで経営判断などできないのに、無理やり論理・理性で判断することで結果としてイケてない経営状態になってしまうこと。
もう1つのパターンとしては、エリートの達成欲も絡み合って数値目標だけをゴリゴリに達成しようとし、グレーゾーンへの踏み込みから徐々にダークサイドに落ち、結果として粉飾決算とかの犯罪を犯してしまうこと。
そうならないように、「論理や理性で考えてもシロクロのつかない問題は、むしろ『直感』や『感性』を頼りにしたほうがいい」というのが本書のメッセージ。
でもその大前提として、決して「論理や理性をないがしろにしていい」ということではなく、「論理や理性を最大限に用いても、はっきりしない問題については、意思決定のモードを使い分ける必要がある」ということ。そこをないがしろにして、直感や感性だけで意思決定することは、山口氏の表現を借りると「単なるバカ」だということ。
そして読んでふと思ったのは、本書のような経営判断の軸で語るならば「論理・理性に偏っているのを直感・感性にSHIFTさせましょう」ということだけど、一方で社会、特に政治絡みの部分について目を向けるとその逆になっていて、直感・感性に振れ過ぎて「単なるバカ」の状態が問題を引き起こしていることが多く、逆に論理・理性に大きくシフトさせる必要があるよなーと。
震災後の電力安定供給の問題しかり、築地移転騒動しかり、それらのあおりを受けて社会保障課題が完全に放置される問題しかり。同じ国なのに、ビジネス界と一般社会でなんとも両極端な状況なのが味わい深いです。
ということを考えると、この本がいうようなビジネスパーソンは美意識を鍛えよう、ということも必要ながら、それ以上に、全国民の論理・理性的思考を鍛えるというのも大事だよなと思ったり。リカレント教育の予算配分でなんとかなりませんかね。グロービスが儲かっちゃうけど(笑)
話は戻って経営判断の美意識の話。
正直、美意識を鍛えるために絵画を観に行こう、というのはピンとこないのですが(美術館むっちゃ苦手(^^;)、本書で事例として出てきたソニーのウォークマンの経営判断のように、もともと経営理念ってこの「美意識判断」のためにあるんじゃなかったっけ?とも思うわけでして。
この本を読んで、「さて、美意識判断、どうしたものか」と思った企業は、経営理念がない、もしくは単なる額縁の言葉になっている可能性があるので、その辺からの見直しをスタートとしていいかもしれないですね。
で、最後に思ったのは、企業だけでなく、自分の人生を生きていくうえでの判断軸としても美意識、大事だよなーと。
論理・理性によって足場を固めつつも、その先進むとどうなるかは論理・理性ではわからんというときは、自分の美意識に沿って「えいっ」と前に進んでいきたいなと思いました。