気ままに誤読録

著者の意図とは違うかもしれないけど、自分なりの気づきを「誤読」として紹介していく、そんな読書ブログです。

【弘兼流 50歳からの定年準備】(弘兼憲史)

この一言が、すごく印象に残っている本です。

 

「そこを潔く降りて、自分だけのステージを持つ」

 

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50歳にもなったら、勝ち負けにこだわらない生き方を考えたほうがいい。

 

出世は必ずしも仕事の能力を反映するものではありません。

 

人間関係や偶然も大きく作用します。そんなものにこだわって一喜一憂するのも、そろそろバカらしいと思っていいはずです。

 

だいたい、出世したからといって幸福とは限りません。

 

仕事に邁進するあまり、家庭をないがしろにしてきたかもしれない。

 

肩書が重くなれば責任も重くなり、ストレスも増えるかもしれない。これもたいへんな人生でしょう。

 

そこで重要なのは、人と比較しないこと。

 

隣の芝生が青く見えるのは人間の性ですが、人は人、自分は自分と割り切る。50歳といえば、もうそういう分別がつく年代のはずです。

 

それとセットになっているのが、「では、自分は何をするか」という目標を立てることでしょう。

 

いくら比較しないと自戒しても、同じステージに乗っていては気になります。

 

そこを潔く降りて、自分だけのステージを持つ。

 

これが勝ち負けの世界から卒業するということです。

 

私は現在50歳ではなく43歳ですが、言ってることがすごくよくわかる気がします(^^;

 

自分としては7年早く実践した形になりますね(^^;)

 

先の長い人生をよりよく生きたいという人のために、「そこを潔く降りて、自分だけのステージを持つ」という生き方へのシフトをお手伝いすることがこれからの私のミッションとも言えます(即退職ということではなく、考え方、生き方のシフトのお手伝い)。

 

でもって、以下の引用部分も、ほんとそうかもしれませんねぇ。

この考えに対する自分の中での共感度が最近増している気がします。

 

そこで思うのですが、(再婚するにあたり)相続など周囲の家族に反対されるなら、新たにあえて婚姻関係を結ばなくてもいいのではないでしょうか。

 

中高年にとって大事なのは、結婚制度という形より中身です。

 

むしろ結婚してしまうと、男は「よもや別れまい」とすっかり安心してしまい、奥さんに甘えがちになります。

 

結婚する前までは、せっせとプレゼントしたり、ときには手料理まで披露したりするが、結婚後もそんなことを続けている男は稀でしょう。

 

それだけ気の置けない関係になったということですが、見方を変えれば優しさがなくなってしまうわけです。

 

そんな怠惰な関係になるくらいなら、あえて結婚という形を取らず、お互いに自立したまま、緊張感を持って付き合ったほうが、結果的には長続きするのではないでしょうか。

 

という形で、40代の私もいろいろと参考になることが多かったので、50代の方はもちろん、50代にまだ突入していない方も、気になった方は読んでみてはいかがでしょうか。