気ままに誤読録

著者の意図とは違うかもしれないけど、自分なりの気づきを「誤読」として紹介していく、そんな読書ブログです。

【他者と働く】(宇田川元一)読んで、アドラーの教えを改めて意識した話

遅ればせながらこちらの本を読了。ようやく「ナラティブ」の意味するところを理解しました。

 

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これは読めば読むほどコーチングを学んだときのことを思い出しまして。いわゆる「ポジションチェンジ」を、対人、対組織で丁寧に行っていく、そんなふうに感じながら読み進めました。


 

基本的なステップは以下の4つです。
 
1.準備「溝に気づく」
2.観察「溝の向こうを眺める」
3.解釈「溝を渡り橋を設計する」
4.介入「溝に橋を架ける」
 

 

自分と他者、自組織と相手組織の間で、何かうまくいかないと感じたとき、そこには「溝」があるということを認識する。


 
そして、「正しい自分」「間違っているあいつ」という自分の「心のメガネ」を一旦外して、ニュートラルな視線で、「相手はどんな心のメガネをかけているのか」、もっというと「相手はどんな状況にあり、どんなことに悩み、どんなことを考えてこちらの意見に異を唱えているのか」を観察する。


 
そして観察したうえで、相手の引っ掛かっているポイントが見えてきたら、どうやったら相手のその「ひっかかってるポイントを解消できるか」を考える。


 
そして相手の「ひっかかっているポイントを解消できる手だて」が用意できたら、「介入」という形で相手に働きかけていく。


 
そんな「相手とのかかわり方」かなと解釈しました。


 
ほんと、こう書いてみたことを改めてみると、「ポジションチェンジ」を分解して整理したような感じなんですよね。そういうことだったのかと。


 
そしてですね、嫌われる勇気、幸せになる勇気と続けて再読したあとにこれを読んだので、バイアスがかかっているからかもしれませんが、すごく書いている内容がアドラー的なんですよね。


 
「正しい自分」「だめなあいつ」という視点で相手と関わるのではなく、相手も相手の「ナラティブ」に基づいた人生の主人公であると捉え、どうやったら手を取り合って、協力してやっていけるかを考える。これはまさに、共同体感覚を築いていくために、まずは自分から働きかける「勇気」を伴った行動とも言えます。


 
そして相手のナラティブを理解するという行為は、まさに「他者の関心に関心を持つ」という行為そのもの。これもアドラー的な考え方そのものです。
 


相手を人生の主人公ととらえ、そんな相手の関心に関心を持ち、そして「相手が何かしてくれてから」と待つのではなく、自ら率先して貢献し、貢献の輪を拡げていくことで共同体感覚を築いていく、改めてそんな生き方を再認識させられた本でございました。
 


おしまい。