気ままに誤読録

著者の意図とは違うかもしれないけど、自分なりの気づきを「誤読」として紹介していく、そんな読書ブログです。

女子の人間関係(水島広子)

いやー、勉強になりました(^^;)
 
いわゆる「女の敵は女」という文脈で出てくる女性どうしのコミュニケーションに出てくる嫌な部分を著者は「女」と表現し、それがなぜ起こるのか、その文脈で攻撃をしかけられたときどう返すのか、ということがいろんなパターンで書かれている本です。

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この「女」のようないわゆる「拗ね」のパターンは、男性にも起こりえることですが、男性と女性では起こる範囲が全然違うといいますか、男性の場合はある特定のコミュニティで発生しうるのですが、女性の場合はもうなんかそこら中にトラップが張り巡らされている感じで、いやーほんとお疲れ様です!とお茶の一杯でも出したくなる読後感でございました(^_^;)
 


ちなみに男性でこのパターンがよく出そうなコミュニティは、終身雇用の大企業ですね。
 


共通するキーワードは「選ばれる立場」です。
 


誰かから選ばれるという環境に身を置いていて、自分が選ばれなかったとき、その拗ねの感情が暴れだします。私も過去、結構暴れてました。。。当時の課長さんにはほんとごめんなさいという感じです( ̄▽ ̄;)
 


そしてこのような「拗ね」の感情に自分が支配されているとき、そこから抜けるために必要なことは、いわゆる自己客観化です。
 


この本に出てくる対処方法をいろいろ読んでで、それはつまるところ、例の「箱から出る」話であったり、田坂さんの言うところの「自分の中の小さなエゴを静かに見つめる」話のことだよなぁと。
 


また何かの心理学系の本で読んだのですが、「脱同一化」という話でもあります。
 


拗ねの感情は風邪のウイルスのようなものですので、それが刺激される場面に出くわすと、それこそ「拗らせて」暴れまわるということですね。
 


でもそれはあくまでウイルスであって、その人そのものではない。ウイルスにハイジャックされてしまっている感じなんですね。だから、自分自身が感染している場合は、「拗ねのウイルス」と「自分自身」をまずは切り離す。そして、ああいま拗ねのウイルスが反応したんだな、と客観的に静かに自分を見つめる。
 


そして落ち着いてから、自分は他者からどう「見られたいか」ではなく、自分はどう「生きたいのか」、自分はどう「振る舞いたいのか」、というようにあくまで自分軸で考える。これは幸福学でいうところの、地位財ではなく非地位財に意識を向けるという話でもあります。
 


そうすると「拗ね」の度合いが下がって、周りからみて魅力的な人となり、その結果「拗ね」度合が高い周りの人も、「拗ね」度合が下がったその人と接することで、「拗ね」の要素が癒されていく。これはまさに、相手を箱の外に出したければ、まずは自分が箱の外に出て、相手に接するという話と同じだぁなと。
 


そんなこんなで、自己客観化という視点でこれまで読んだいろんな本を思い出させてくれた、そんな本でございました。
 


おしまい。