気ままに誤読録

著者の意図とは違うかもしれないけど、自分なりの気づきを「誤読」として紹介していく、そんな読書ブログです。

ヒロミさんとデ・ニーロ師匠

 

映画の「マイ・インターン」、観られた方はどれくらいいらっしゃいますかね?

 

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先日、某合宿にて「マイ・インターン」を題材に心理学の側面から学びを深める的なことをやっていたのですが、その本題とは別のところで、どうすれば「スーパー・シニア・インターン」であり、むっちゃ器のでかい愛情あふれるロバート・デ・ニーロ扮するベンが出来上がるのか、という議論も盛り上がりまして。

 

そのときの1つの仮説が、おそらく過去は「鬼のベン」とか言われていてむっちゃ厳しい人だったけど、どっかのタイミングで何かにぶち当たり、そこから愛情あふれる器のでかい人に転換したのではないか?ということでした。

 

そんなことを考えていたときに目に入った記事が、ヒロミさんのインタビュー記事。

 

最近「小休止」の本を出されたことによるインタビューだったのですが、それを読むと、まさに今のヒロミさんはデ・ニーロ扮するベンの役回りそのものだなぁと思うとともに、小休止前後の話からは、「デ・ニーロ(ベン)の作られ方」のヒントがたくさん書かれているなぁと思いまして。

 

toyokeizai.net

diamond.jp

 

ヒロミさんの話を超簡単にサマリますと、

 

・若い頃から20年ほどストイックな姿勢で芸能活動に邁進していた

そのスタイルが徐々に時代に合わなくなり、テレビからお呼びがかからなくなった

・なので10年ほど芸能活動から離れて別の活動をいろいろやっていた(これを小休止と呼んでいる)

・そしたら思いがけずまたテレビ界からお呼びがかるようになった

今は昔とは違って「いい感じの力の抜け具合」で後輩のサポートになればという想いで芸能活動をされている

 

という感じです。

 

昔のヒロミさんは仕事に200%の姿勢で向かうのは当たり前で、周囲にもそれを求めたそうです。そうすると周囲はなかなか大変ですよね(笑)。

 

会社の職場でもたまに見られる光景だと思いますが、200%頑張るリーダーが「なんでお前らはやらないんだ」という姿勢で部下にもそれを求め、結果として組織が野戦病院化してしまう風景。


ちなみにヒロミさんがなぜ200%の姿勢でやっていたかというと、18歳の時の交通事故による大ケガがきっかけだったそうです。その経験から「命は短いかもしれない」という想いが強くなり、全力で日々を生きるようになったとのことです。

 

で、そのような姿勢で生きていると、40歳くらいのときにテレビ界から「もうちょっと丸くなれないか?」という声が増えてきて、だんだんオファーが減ってきたとのこと。で、ヒロミさんも自分の需要がなくなってきていることを自覚し、自ら芸能界から離れて小休止期間に入ったと。

 

そして小休止期間での「ジムの経営」にて200%で生きようとしているのは自分だけだったということに気づき(周りがおかしいのではなく自分が異常だったことに気づき)、そこからは自分も他者も80%くらいでやっていけばうまくいくことがわかり、その姿勢は今も続いていて、今の芸能活動もそのような姿勢で取り組まれており、結果として「いい感じ」の芸能生活を送られているようです。

 

というこの話を読んで、非常に興味深い点がありました。

 

それは「なぜヒロミさんは芸能界での成功体験をサクっと手放せたのか」ということ。

 

普通、あれだけ成功すれば、その成功に執着して悪あがきしてもおかしくないです。

 

世間でいわゆる老害と言われる人たちは、成功体験を手放せず、今のポジションに執着し、悪あがきし、周囲に迷惑をかけつつ自分も不幸になる、というパターンがよくあるんじゃないかなと思います。


だけどヒロミさんはサクっと手放せた。

 

では、なぜヒロミさんは芸能活動に執着せず手放せたのか。

 

これは記事にも書いてますけど、会社(芸能事務所)の経営者でもあったことが大きかったようです。

 

一タレントでもありながら、芸能事務所の経営者でもあったので、ヒロミさんのタレント活動自体を会社の中の1事業と捉えていたんですね。経営視点に立てば、1つの事業が傾いたら、テコ入れするのか、もしくは撤退してほかの事業を育てるのか、そんな思考になります。

 

で、ここで大事だなと思ったのは、ヒロミさん自身にとって、「タレントとしてのヒロミ」は全人格的なものではなく、「経営という文脈での一機能でしかない」と捉えていたことだと思います。

 

「タレントとしてのヒロミ」を俯瞰的なポジションから、客観的に見れていたということですね。

 

もしこれを全人格的なものとして捉えてしまうと、「タレントとしてのヒロミ」が否定されることは、人間としてのヒロミが否定されるということになってしまい、そうなると、その立場に執着し、もがき苦しんだのではないかと思います。

 

ビジネスで成功してきた人の多くはそのような俯瞰的な視点で自分をとらえることはなかなか難しいので、その場所に執着し、もがき苦しみ、ときに老害と呼ばれることになってしまうのではないかと思いました。

 

では、このような「1つの社会的役割と人格の同一視」を避けるためには、どうすればいいのか。

 

解はいくつかあると思うんですけど、私が思いつくキーワードは「選択肢」です。そっちがだめならこっちがあると、そういう心持ちからくる心の余裕ですね。これ、「そんなもの持てたら苦労しねーよ」という話ではありますが。。。

 

でもですね、ここで荒木マスターのVoicyでの「選択の科学」の話を思い出すわけであります。

 

「仮に具体的な選択肢がまだ見えてなかったとしても、『自分には選択肢が存在するはずだ』という信念で、いかに思考を巡らせるかどうかが大事だ」と、そんなお話をされていたような気がします(間違ってたらごめんなさい)。

 

つまりは、今選択肢がなくても、探せば必ずある、自分は人生を選択できると信じられるかどうか、が大事なんだろうなと。まあそれも難しいことではあるんですが。。。

 

そんな感じで、ここでもまた「選択肢」の重要性を改めて認識するわけでございました。

 

長くなりましたが、ロバート・デ・ニーロのように、ヒロミさんがこれからも「良い意味で力の抜けた、器のでかいおじさんタレント」として芸能界で大活躍されていくのが楽しみです。

 

と、思いつくまま書きなぐりましたが、このように、自分の体験や見たものがいろいろつながると面白いですね。今後も気になったものがあればシェアしていきたいと思います🙂