気ままに誤読録

著者の意図とは違うかもしれないけど、自分なりの気づきを「誤読」として紹介していく、そんな読書ブログです。

【働き方1.9(ヒロシ)③】ヒロシさんの言う、本当の意味での「好きなこと」

前回前々回に続き、ヒロシさんの「働き方1.9」です。

前回は、「好きなことをして生きる」の「好きなこと」って何?という点について、才能心理学的観点でヒロシさんの「心を突き動かす感情」を考察してみました。

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今日はですね、「好きなことって、そもそもどういうものよ?」ということについて、ヒロシさんがこの本の中で書かれていることを踏まえてご紹介したいと思います。

 

1.やってみて続くものが本当の好きなこと

「自分の好きなことって何だろう?」とか「自分のやりたいことって何だろう?」と、考えてもなかなか思いつかない人も多いのではないかと思いますが、アプローチ方法としては2つあると思っています。

 

1つは、とりあえず思いつくまま「やってみたいこと」をリストアップしてみて、それらを「試しに」いろいろやってみて、結果的に飽きずに継続できたものが「本当のやりたいこと」というアプローチ。

 

もう1つは、過去の原体験などから「こういうときにこういう強い感情が起こる」というパターンを見つけ、その延長線上で具体的なやりたいことを見つけていくというアプローチです。 

 

で、ヒロシさんがこの本の中で言われているのは前者です(ちなみに私が専門の才能心理学によるアプローチは後者です)。

 

ヒロシさんの場合は、1人キャンプ以外にも、手間とコストがあまりかからない形でカフェやインターネットラジオ、バンド活動などいろいろ手を出してみたそうなのですが(ヒロシさんの言葉でいうと種を撒くという行動)、最後に残ったのが1人キャンプだったとのことです。

 

ということで、大事なのは「その行動が続くかどうか」というポイントですね。行動が続くということは、それだけ行動のエネルギーとなる感情が強いということ。そして、どの「やってみたいこと」が続くかどうかなんて実際にやってみないと分からないのだから、まずは「試しに」いろいろやってみましょう、というのがヒロシさんのメッセージです。

 

2.得意なこと ≠ 好きなこと

この本の中でこんな一節があります。

 

好きなことをして生きていくという話をすると、「私はこれが特技だから、この達人だから、これを仕事にしてみたい」という人がいる。しかし、得意なものと好きなものとが一致しないことも多い。本当は好きでもないのに、周囲からそれが得意だと評価された仕事を続けることはキツイものだ。

いくら得意だと思うことでも、好きでなければ、挫折や伸び悩みで脱落してしまう。得意であることだけがモチベーションなのだとすれば、得意でなくなれば、容易に挫けてしまうのだ。

 

これは私も本当にその通りだと思っています。

 

ただ、我々世代はこれまでずっと、社内でも、社外(特に転職)でも、「できること・得意なこと」という「CAN」を軸に相手にアピールするという思考と行動を繰り返してきているので、ここでいきなり「WANT」を軸に考えようと言われてもなかなか頭の切り替えが難しいかもしれません。

 

ですが、80歳まで働く人生100年時代は「WANT軸」に切り替えなければやっていけない時代というのも確かですし、またその軸で生きていくことができればより人生は豊かなものになると私は信じていますので、ちょっとここは難しくとも頑張って「CAN軸」から「WANT軸」への思考のシフトにトライし続けることがやはり大事になってくるのではないかと思っています。

 

また、誤解していただきたくないのは、「得意なこと」「できること」を捨てましょう、ということではありません。それはそれで、強力な「リソース」になります。「WANT軸」から何か好きなこと、やりたいことが見えてきたときに、それの実現にぞのリソースを活かすことができれば、実現のスピードがあがったり、質が強化されたりします。

 

例えばスタバのハワード・シュルツさんは、「人を大切にする場を作りたい」という「やりたいこと」と「カフェ経営」「ゼロックス社などで培ったビジネスパーソンとしての能力」という「得意なこと」を掛け合わせることで「サードプレイス」や「従業員を大切にする会社」としてスタバを発展させたとも言えます。

 

という感じで、得意なこと(リソース)は、それはそれで大切にしつつ、「どうすれば”やりたいこと”とうまく組み合わせることができるか?」ということを考え続ける、そういう姿勢が大切になってくるのではないか、と思っています。

 

3.やりたいことの中に潜んでいる「実はやりたくないこと」

 また、本の中にはこんな一節もございます。

 

また、中には得意であること自体は好きだが、好きの理由が、その対象を好きだというより、得意なことを披露することで周りの人に褒められるのが快感である場合もあろう。たとえば、小さい頃にお稽古ごとに習熟して母親に褒められたことがうれしい場合や、僕のモテるための高校時代のバンド活動がそうだ。

これ(褒められることが目的)なども挫折しやすい。なぜなら、そのような人は、要は他人から評価されるのが好きなだけで、評価されない時には挫けやすいからだ。コツコツとやり続けるには、やっぱり「ただ好きである」しかない。下手の横好きこそ正解なのだ。

 

これも本当にその通りだと思います。

 

ちなみにこのような「本当の意味で好きなことではない感情」を才能心理学では「ノイズ感情」と呼んでいるのですが、よくあるケースは自分が本当に好きなことではなく、「他者からの承認」を得るための承認欲求に基づくケースですね。

 

この承認欲求は社会性の中で生きる人間である限り、ゼロにすることはできないものだと思っていますが、この欲求が強い間は、本当にやりたいことにたどり着くのはちょっと難しいかもしれません。

 

といいますのが、何を隠そうこの私自身もつい2年くらい前まではゴリゴリの承認欲求の塊だったからでして(笑)、あのときのあの状態だとちょっと難しいよなぁ、と自分の経験としてはそう思うんですよね。主観ですが(^^;

 

ちなみに私の場合は、承認欲求ゴリゴリで突き進んでいったところ、まあいろいろと壁にぶち当たって小休止を余儀なくされ(笑)、不幸中の幸いで内省の時間が取れたことと、たまたまそのころ40代に突入したということも相俟って、「もう別にええやろ」と以前よりは手放せるようになったかな、という感覚です(^^;)。それでもまあ、まだまだ承認欲求、強いですけどね。以前が異常値だったということで( ̄▽ ̄;)

 

とここまで書いておいてなんですが、承認欲求によって行動することが悪いというわけではありません。承認欲求も強い感情には変わりはないので、行動のエネルギーになり、その結果、才能が開花する可能性はあります(グレイテスト・ショーマンのジェニー・リンドがその典型例です)。

 

ただですね、それでずーーーっとがんばり続けていくと、そのうちだんだん苦しくなってきます(^^;)。

 

なので、人生100年時代を考えた場合には、承認欲求で突き進みつつも、どこかのタイミングで、自分が「ただ好きだから」と思うことにシフトするのがベターではないか、というのが今のところの私の考えです。

 

以上、「好きなことって、そもそもどういうものよ?」ということについて、この本に書かれていることをベースに3つの観点から考えてみましたが、ご自身のこれまでを振り返り、そしてこれからを考えるにあたって、何か少しでもヒントになれば嬉しいです(・∀・)ノ