気ままに誤読録

著者の意図とは違うかもしれないけど、自分なりの気づきを「誤読」として紹介していく、そんな読書ブログです。

「人間の弱さ」への想像力

ピエール瀧さんの報道を受けて、こういう事件があるたびに毎回思うことがあるんです。私は子供のころから野球が好きだったので、清原さんのときは特にそう思いました。

いわゆるダメなことをやって逮捕されるわけですけれども、「だからダメなやつだ」で終わらせては何も解決しないというか、我々にとって何の教訓にもならないですよね。

瀧さんだって、清原さんだって、ASKAさんだって、「それがダメなこと」であることは百も承知なはずで、それでも手を出してしまう。そこには数十年のどんな人生の流れがあって、なぜそうなってしまったのか。

たとえば清原さんを例にすると、彼は高校生からプロ入りしてすぐ、19歳でいきなり全国区のスーパースターになってしまった。大阪の田舎で暮らしていた青年にとって、周囲の環境の大変化が与えた影響はどれだけのものだったか。ものすごく注目され、チヤホヤされ、そして悪い奴らも寄ってくる。だから勘違いもする。そこで冷静に自分を保持しろ、と言われても非常に難しい環境だったことは想像に固くありません。

一方で、自分の20歳の頃を思い出すと、もう恥ずかしいくらいの強がり欲求でいきがってて、精神的に未熟も未熟でした。今もまだまだ未熟ではございますが、20歳の頃はほんとひどいもんでしたね( ̄▽ ̄;)

そう思うと、もしですよ、、、、自分が清原さんの境遇に身を置いていたらどうなっていたか。そこからずっと、20年くらいスターとして人から注目される人生を歩んでいたらどうなっていたか。精神的にものすごく追い込まれることも数えきれないほどあったと思うんです。そう考えると、「仮に清原さんと全く同じ人生を歩んだとしても、私は薬なんて絶対に手を出しません」と言い切れる自信はないです。自分も弱い人間ですから。

瀧さんも、ASKAさんも、状況は違えど、我々には想像もできないいろんなことがあったのではないかと思います。

そして、ダメと分かっているのに手を出さざるを得ない、そういう精神的に追い込まれたときに、もし、、、本音で悩みを話せる人がそばにいたら。一線を越えずに済む場合もあると思うんです。

我々庶民は幸い薬物的なものからは比較的距離のある生活を送っていますので、薬物使用という形はあまり起きないと思いますが、別の形で、抱え込んだ苦しみに耐えられなくなって、そこから逃れるために何かをやってしまう怖れは十分にあると思っています。

そう考えると、今回の報道を受けて、叩いて終わりではなく、一度自分にベクトルを向けて、自分の周りにそういう助けが必要な仲間はいないか。そもそも自分自身は大丈夫なのか。いろいろ悩みを抱えすぎていないか。本音のところの悩み、苦しみを話せる相手はいるのか。

そういったことを自分自身に問いかけることが、このニュースから学ぶことなんじゃないかと私は思ったので、ひとまず自問自答しているところでございます。

で、ASKAさんを思い出したので、久しぶりにこの曲を聞いてみました。

 

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元気が出てくる大好きな歌なんですが、特にこのフレーズが好きです。

♪わずかな力が沈まぬ限り 涙はいつも振り切れるーーー!♪

ほんと、わずかな力が沈まぬ限り、人はなんとかなると思うんですよね。

なので、自分の力が沈みそうになったら、誰かに助けを求める。

力が沈みそうになった仲間を見つけたら、駆けつけて大丈夫かと声をかける。

そういう生き方をしていきたいなと思いました。
難しいかもしれんけど、気持ちだけは。

ちなみにピエール瀧さんの番組で好きだったのは

「歴史発見 城下町へ行こう!」

でした!